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拡大する恐怖の移植 [BLACK KISS]
ヴィジュアル・サイコ・スリラー、という括りになるのでしょうか? 凝った視界に魅力的なキャスティング、其処此処に散りばめられた「判る人にだけ楽しい」遊び要素…色味を緑寄りに飛ばした映像が禍々しい白昼夢っぽい感じで流石、と思いました。


上京したばかりの新米モデル・明日香は紹介されて元モデルの香純と同居することになる。ある夜、向いのラブホテルの、同じ高さに窓を持つ部屋から男の断末魔の絶叫が響くのを聴く。そっと覗いた明日香の視界に飛び込んで来たのは、凄惨な殺戮のリアルタイムな現場だった。

その夜を境に、明日香と香純の周辺で連続猟奇殺人が頻発する。「悪魔」の異名を持つ香純の過去、「偶然」の悪意を畏怖し嫌悪する明日香…拡大する恐怖が二人を苛む。



正直、観るまではかなり怯えていました。スプラッタホラーが本当に苦手で、[ジョーズ][エイリアン]も駄目なら[リング]も駄目(あ、でも[リング]は小説の方で全部読みましたけど)。
そんな自分に、CMで女の子が恐がっていたような、そんな映画が観られるものだろうか、と。

…結果は、そうですね。冒頭の衝撃シーンとオダジョーの最後の方のシーンで薄目になった程度で、割と普通に観終われました。といっても、冒頭の場面がまさに呪となってしまい、その音楽がなると「何、何が出てくんねん…」と緊張したのは事実。ジョーズのあの音楽と同じ感覚ですよ、本当。


結末に関しては、もしかすると続編とか…そういう視野もあってのあの演出なのかな、という匂いも残しつつ、「そう落とすか」、と。額面通りに取ればあの人が犯人か、と見ることも出来ますが、それもミスリードで、そもそもあの人自体が既に葬られて顔面だけ利用されてるのかも知れないって気すらします(全一みたいやなー、と思っただけですが)。

殺しの芸術家、その黒いキスマークだけが確固たる存在の証という、恐怖を演出するモノ…犯人ではある、でも都市伝説のように誰もその本体を暴くことが出来ない変装の達人。

犯人が明日香と香純、二人の周辺で事件を重ねる経緯に関しての理由付けはお粗末な感が否めませんが、それを本筋に置かなければ非常にマニアックな作品と言えるのではないかと(ある程度の映画好きか、もしくは広義のミステリ好きには)。


犯人を追う、動機を探る…そういうミステリ的なものを求めるとガクッとするかも知れませんが、心理的な緊張を上手く操作して観客をミスリードしている作品だと思います。


以下、ネタバレですのでご注意。
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by yoiyamigentoukyou | 2006-02-26 20:59 | 映画も観る
孤独ってどんなカタチなのだろう… [ギミー・ヘブン]
共感覚、という言葉を初めて知った。
例えば特定のアルファベットを見ると、同時にまったく異なる感覚…味覚だったり嗅覚だったりが連動されるという現象らしい。

見るもの、触れるもの総てが自己内部でおいて全く他者と異なるというのは、圧倒的な完全な孤独なのだろう。
けれど。
十人十色というように、視えている世界は個々人で違うのだから、本質的には誰もがちょっとずつ孤独なのだ。
私が見ている空は確かに共通認識と同じで「青い」。だけどその「青さ」の認識は本当に同じだろうか? ならば何故色には番号が必要なのだろう?


盗撮サイトの下請けというジャンクな生業の新介は視覚に特化した共感覚の持ち主だ。言葉での理解を恋人や親友・貴史からは得ていても共感を赦されない己の感覚に罪悪と孤独を抱いている。
ある日、盗撮場所から不可思議な形状の血痕が発見される。一時期都市伝説のように囁かれた[死の売人・ピカソ]のマーキングだと認めた新介の前に現れた女子高生・麻里。

麻里との出会いによって、新介は否応なく[ピカソ]に過剰な干渉を受けることになる。果たして、[ピカソ]は新介の孤独を埋める欠片になりうるのか?



大多数と少数、「違う」という言葉を発することで除外・排除されてしまうという現実という名の悪夢…みんなが可愛いというモノは本当に可愛い? みんなが正しいというコトは本当に正しい? カテゴライズ、ラベリング自体が既にデヴァイン(神の目)による誘導であり洗脳に過ぎないのなら、本当の「青」なんて何処にも存在しないのではないだろうか。

その昔(いい歳になった今もだけど)、私は何に対しても直ぐに「なんでなん?」と訊ねてしまう子供だった。
空と海と絵の具の「青」は同じ言葉なのに色が違うのは何故か?
五線譜上で初めて書いたドレミファソラシド、最初の「ド」と最後の「ド」は鍵盤の位置も音の感触も違うのに何故同じ「ド」と表記するのか?

ピアノの先生は「それが決まりだから」と取り合ってはくれなかった。なので、一ヶ月で辞めてしまった(そうして未だに納得がいかないままだったりする)。
「青」に関しては空と海とは合わせ鏡なんだと妙に詩的な発想で無理に納得させている。


現実を生きている共感覚の方からすれば、「そんな単純な孤独じゃない」と一喝されるかも知れないけれど。
名付けた人、定義した人…遠い過去の誰かが気紛れに発した呪に縛られて、私も誰も、弱い孤独を飼っている。


初めに言葉があった。
だから人は理解者を得、敵を得…疑心暗鬼から疑い、やがて殺戮を犯した。
ダーウィンは進化論を唱える。
けれど私はそれを退化と呼びたい。

例えば一匹の猿が居て、寒さ暑さから守ってくれるはずの体毛が薄かったとする。異質だ、群れでは暮らせない。
或いは声帯に異常があって、彼の声は他の猿の声とは違ったのかも知れない。
森では生きられない、彼は樹下へと下る…やがて同じような存在と巡り会う。

どうすれば「同じ存在」だと伝えられるだろう。確認できるだろう?



…映画の最後の決断は、私には納得がいかないのだけれど。
何故だろう、幼い頃から密かに抱いていた、「本当は人間は何よりも弱く脆い生き物」だという空想を覗かれた気がした。
弱いから言葉を巧みに遣わなければならず、脆いからこそ工夫し言葉を分かち…味方と敵を生まざるを得なかったのだと…

感想じゃないな、これ;
個人的には、江口さんはちょっと孤独感を表現しきれてなかった感じがします。
宮崎あおい嬢は…うーん、役柄によって感じる年齢の感覚が異なるというのは良い役者なのだということなのだろうけれど、ちょっと幼すぎる気が。

安藤さんは現代感に切迫していて、その姿に知らず泣いておりました…


映像も音楽も良かっただけに…最後のあのCGと、あの結論でさえなければ、と思います。

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by yoiyamigentoukyou | 2006-02-04 21:03 | 映画も観る