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[戯場国の森の眺め] 赤江 瀑

[戯場国の森の眺め] 赤江 瀑/文藝春秋※もしかしたら絶版かも…

書籍のカテゴリに置くべきか、歌舞伎関連のカテゴリに置くべきか。散々迷った末、後の利用を考えて此方に置くことにしました。
が、出来れば、能や歌舞伎を好まれる方に読んで欲しい作品です。もっと欲をいうと、演劇・舞台芸能(広義で言えば、ライヴやコンサートも含みたい)を好まれる方に読んで欲しいです。


平成7年秋から翌8年初めに掛けて、[西日本新聞]に綴られた、氏の能・歌舞伎(取り分け役者の心意気や言行録を中心)に対する文章をメインに、[演劇界]などに寄稿した文章なども収録した論集。


購入したのは3年前? 数冊だけ版元に在庫があったものを取り寄せて貰いました。なので、今はもしかすると長期品切れになってるかも知れません。
※もはや何時買ったのかすら記憶にない…

余り紹介出来てませんけど、赤江作品には能や歌舞伎に関わるものをモティーフにした作品は本当に多いです。
それは現代を舞台にしているものもあるし、過去の謂れに終始しているものもある。

今回、博多座へ向かう新幹線の中で、久し振りに読み返してみました。藤十郎のこと、女形のこと、[義経千本桜]のこと…普段、観劇していても気付かないような、本当に細かな部分に氏の視点があって、面白いです。


例えば、[面の裏の綺羅]という題の文章があります。
能と言えば、演者は面を掛けて登場する。見所の観客からは役者の本当の表情はどうしても見ることは出来ないし、勿論、役者も終生、舞台の上の自分の本当の表情を見ることはない。素顔で演じる場合もあるけど、それも面の扱いなので、表情は動かない。

氏は綴る。
”顔のない肉体と、肉体のない顔。一人の人間と、一枚の木彫りの面。(中略)顔を奪われた演者と、それを奪った面との間で、どのような応酬がくりひろげられるのか。どのような闘い合いが交わされるのか。それが、私は見たいのである。”


凄いなぁ、と。
そんな願望を抱いて、役者の所作を眺めたことはないです。
多分、その闇を覗いたら、現実に戻れないという予感を誰もが無意識に抱いているからなのだと思う。

舞台の上空、照明の届かぬ影の深さにも。
奈落の底の板の向こうの無明にも。

多分、深い深い、数多の役者たちの想いが凝っているように思うから。


面の裏側の深い闇。その闇を見通そうとするからこそ、[阿修羅花伝]で若い面打ちは己の貌を抉らねばならなかったのだろう。その修羅を、氏は描かねばならなかったのだろう。

”魂が奪われる。
 奈落の道も、楽屋道も、客席通路も、思えばやはりみんな魔界の道である。”
 <[劇場の道]

そう述べる氏の文章は、例えるならその筆跡自体が魔界へと至る道と呼べなくもないと思ったり。

by yoiyamigentoukyou | 2008-10-07 01:59 | 読書/赤江 瀑